司祭
司祭とは
前回の皇帝が社会を力強く生き抜き、安定や安全のために厳さをもって、現実的に統制する存在であるならば、今回の司祭は価値観や倫理観、また道徳といった精神的な見えないルールで統制を図る、文化や伝統を司る存在です。
教皇、祭司、法王などとも呼ばれ、立派な服装に身をつつみ、聖者が魔除けや除霊を行う際にする右手を上げるポーズをとる彼は、どこか常人とは一線を画した聖なる力を持った存在のように見えます。
彼のもとには彼を尊敬し慕う2人の人物が描かれており、まるで彼は人々の精神的な支えであり、神と人々をつなげる仲介者として精神面での導きを担う偉大な師でもあるようです。
彼はまた何が正しくて何が間違いかを教える指導者でもあります。彼の教える「正しい」と「間違い」は、多くの人が共有する、価値観や慣習に基づいています。
例えば、一人の人を生涯愛することが正しく、浮気や不倫は間違い、といった一般的にとか伝統的に共有されている保守的な価値観や倫理観です。
でも、より多くの子孫を残すという観点からいえば一夫多妻制は理に適っているし、場所や時代が変われば、そもそも婚姻や結婚といったものも全く違う形が主流として存在している・・・そういうあやふやさはあるけれど、はるか昔から今まで長年ずっと続けられてきたことや、多くの人にとって納得や理解がいくものを「よし」とし、それを規範として伝え守える、いわば社会生活におけるモラルの象徴なのです。
と、なかなか一言では言い表しにくい司祭ですが、正位置であれば、伝統や道徳やモラルといった社会的な価値観やルールを順守することの大切さを意味します。また精神的な指導者という面から、教育、信仰、尊敬、信頼などもキーワードです。
逆位置になると、不道徳とかモラルがないとか、一般的にとか伝統的な考えに従えば間違っているというような意味になります。ルールや常識からはみ出て、大多数の人からは「よくない」、「正しくない」と判断されることです。恋愛であれば浮気や不倫も意味しますし、〇〇ハラスメントと呼ばれるものも含まれるでしょう。また、盲目的に一つの価値観や考えに固執し過ぎたり、ルールや形式だけにこだわり過ぎているような状況も当てはまります。
正位置キーワード
- モラル
- 常識
- 信頼
- 尊敬
- 伝統
- 儀式
- 慣習
- 教える・教わる
- 指導者
- 保守的
逆位置キーワード
- モラルがない
- 不道徳
- 非常識
- 型破り
- 信用ならない
- 融通が利かない
- 形式ばった
- 詐欺師
- 洗脳
- 偏見
シチュエーション別解釈
現在の状況/司祭正位置
- 然るべき正しい道を進んでいる
- 既存のルールや規則にきちんと沿っている
- サポートや教育を受けられる状況にある
- 周囲から信頼や尊敬を寄せられている
- 穏やかな人間関係にある
- 組織の一員として安定した役割を果たしている
現在の状況/司祭逆位置
- 不道徳でモラルがない
- 価値観が合わない
- 社会や世間一般からはみ出ている
- 今までにない斬新で革新的なことをしている
- 偏った知識や考えにマイナスの影響を受けている
- 周囲から信用されていない
- ルールにこだわり過ぎている
- 形だけで実態がともなっていない
人の気持ち/司祭正位置
- 尊敬し信頼している
- 安心感のある存在
- ついていきたいと思っている
- 相手の意見や考えに従いたい
- ルールや規則をちゃんと守りたい
- 教えてあげたり精神的な導き手になりたい
人の気持ち/司祭逆位置
- 信用できない
- 不正や間違ったことをしている
- 価値観や考えが合わない
- ルールに縛られたくない
- 普通や常識からはずれたことがしたい
- 建前だけの関係で親しみがない
結果/司祭正位置
- 常識的に正しい選択をする
- 周囲から賛同や信頼を得る
- ルールや規則を守る
- 人を導いたり教えるような存在になる
- 信頼できるものに出会う
- 秩序によって安定がもたらされる
結果/司祭逆位置
- 不正や間違ったことを犯す
- 周囲からの信頼を失う
- 信じていたものが信じられなくなる
- 偏った考えになったり偏見をもつ
- 権威に逆らえない
- 価値観の違いによる齟齬が起きる
- 形だけ取り繕っていたものの実態が浮き出る
アドバイス/司祭正位置
- 不正はせずに正しいことをして
- 気持ちの面でのつながりや信頼を築いて
- あなたの信じていることをそのまま信じて
- 尊敬する人や師を頼ったり教えを乞うてみて
- 古典や伝統的なものから学びがある
- 常識やルールに照らし合わせてみて
- 慈しみをもって周囲に接して
- 深入りせずに一定の距離を保って
アドバイス/司祭逆位置
- あなたはよくても一般的にはよくないかもしれない
- 不正行為や間違ったことをしていないか注意して
- 本当に信じていいか信頼していいか見極めて
- あまりに考え方や価値観が異なっている
- 古くからの伝統や慣習に縛られ過ぎないで
- 大多数をしめるメジャーな意見が正しいとは限らない
- 建前にこだわり過ぎていないか、本当に大切なのは何かよく考えて
瑠璃と琥珀 司祭について語る
瑠璃:
前の皇帝からかなり間が空いてしまいました。というのも、私、おそらく司祭が一番苦手な存在なのです。なんだろう、まず無宗教の日本人なので、司祭という存在がどういうものか感覚的にわからないし、あとは司祭の顔からして、なんとなくこの人を心から信頼したい気持ちになれない!笑
と、これだと司祭について語るが始まらないので、琥珀さんに振ってみたいと思います(^O^)/
琥珀さん的に、司祭ってどういう存在であったり、どういうふうに捉えていますか?
琥珀 :
なんて難しいフリなんだ!!うーん、そうですねぇ、確かに司祭って私たちの生活に馴染みがないので理解しにくいですね。身近に置き換えるとすれば、学校の先生のようなものでしょうか。
無垢でまだまだ何も知らない子供達に社会通念や常識を教え込んでいくような。どんな子も分け隔てなく接し、自分の感情を含めずに物事の決まりやルールを教えていく先生のイメージです。金八先生のような感情的な感じではなくて、機械的に聞かれたことにはそつなく、何度でも答えてくれる感じです。(そもそも人という字は支え合って出来てるわけじゃないですからね!金八先生の独自解釈でしょうか?笑 だとすれば早速主観が入った教えです。納得して感動するけど!笑)
どっちがいい教育者かとなると答えはまた別ですが、教えを説くにおいてまず私情を交えず正しく伝達することは伝道者にとって重要な要素だと思います。
でも見方によったら、ルール遵守は四面四角でつめたくも感じます。
瑠璃:
ふむふむ、なるほど、正しいとか間違いを、均一に平等に淡々と冷静に教える先生のイメージですね。私が司祭になんだか心をオープンにできない気持ちになるのは、その機械的というか、感情や私心が入っていないところから来てるのかもですね。
ルール遵守ゆえ、個人的な感情や考え、ひいては革新的な改善や改良すらも、ルール違反になっちゃうのでしょうね。
瑠璃:
私は今回この苦手意識を抱く司祭の説明を書いていて、「暗黙の了解」とか「空気を読む」の『空気』みたいだなーと思いました。
みんなが当然と思っている価値観や常識の無言の圧みたいな。今思いついた場面はあれです、上司より先に退社してはいけない空気とか。(ちなみに私はそういう実質無意味みたいなのが嫌いで定時で帰ります。)
それって、まあ堅苦しかったり、時には非効率であったり無駄であったりもするのですが、集団とか社会生活で大事な秩序をもたらしてくれるのですよね。
琥珀 :
暗黙の了解かぁ、仰るように、これに一体何の意味があるのか…という謎の風習があってそれを破った途端に非常識とか秩序ある集団からあぶり出されてしまう感じがします。私は小心者なのでこんな事必要ないのに!!と思いながら空気読んじゃうので、瑠璃さんに憧れちゃいます。
お話ししてて思ったのですが、司祭は懐深く、どんな人にも教えを説いて迷える人々を導きますが、それはあくまで彼の持つ常識に照らし合わせて、その範囲で答えを出す感じがしました。
鑑定をしていると通念的な物差しでは測れなかったり、時としては常識を打ち破れという回答もする時がありますが司祭はそうではないでしょう。
相手に寄り添うのではなく、自分自身に添わして自分のモラルから答えを見つけるというか。
それが秩序として心地よく安心を感じる人もいるし、瑠璃さんのように堅苦しく感じる人もいるのでしょうね。
瑠璃:
あ!先に弁解しておくと、私は決してルールは破るためにあるとかいう破天荒ではなく、どちらかと言えばルールは生真面目に守る方ですっ!
瑠璃:
さて本題に戻りまして、「自分のモラルから答えを見つける」いうの面白いですね、核心をついている気がします。自分が信じている範囲内であれば司祭も神のような存在であるし、またその範囲内におさまるのは心地がよく安心になる。
突き詰めていくと、何を信じるのか?ということになるのかなと思いました。
さっきの定時退社の例でいくと、上司を敬うべきだ、集団の和を乱すべきではない、そういうのを信じている人にすれば、上司より先に帰らないというのが、秩序であり安心となる。でも、私のように(?)、余計な経費や時間はかけずに効率的に仕事はするべき、私は私、というのを信じている人からすれば、ただの無駄とか無意味になり、司祭の逆位置のような状態になる。
琥珀 :
司祭の逆位置は、そんな常識破っちゃえと読むときもあるし、モラル違反を咎めるという両側面があるので、相談の内容と他のカードをよく見ることがキーになりますね。
瑠璃:
そうですね、常識を破り、新しい革新的な風をもたらすのが「よし」の時もあれば、それがルール違反となり罰則や非難の対象ともなりえる。
ただ、何が「よし」で何が「ダメ」かという基準って、人それぞれ多種多様なので、同じ考えとか価値観同士であればいいけど、そうでなければ価値観の相違による新たな問題も起きてしまう。
例えばどこからが浮気になるかと聞かれ、気持ちを持った時点でアウトだ!という人もいれば浮気容認という人もいたり、同じ国で大体同じ教育を受けていても、個々人に考えは異なってきますものね。それでも最大公約数のところで今のルールや常識や暗黙の了解があり、その範囲におさまることで私たちはなんとか秩序や安心を得ているのかなー。
琥珀 :
ダメな基準が曖昧だったら、根拠になりませんもんね。私が嫌だからやめて!という根拠なき感情的な論争になってしまいます。
そうならないためにも瑠璃さんのいう最大公約数的モラルとして法律や法典があるのかもしれません。拡大して解釈して行くと殆どのモラル違反といわれるものは法律違反ですもんね。皆が共有する常識があるとやっぱり安心します。司祭がその範囲で道を解く事によって常識が通用する社会になって行くのかな。しかし人間の社会はまだまだ発展途上、中には形骸化したルール、古びた常識もあるでしょう。そんな司祭逆位置は切って捨て、更なる進化を遂げたいものですー。